イエスキリストの語録集、まとめ

キリスト教

こんにちは!ナマポニーです。

マタイによる福音書

・人はパンだけで生きるのではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。

 

・私についてきなさい。人間を取る漁師にしよう。

 

・わたしが来たのは、律法や預言者を廃止する為ではなく、完成する為である。

 

・兄弟に腹を立てるものは、誰でも、裁きを受ける。

 

・一切誓いを立ててはならない。そこは、神の玉座である。

→誓い(約束)を立てるのは、神の仕事であり、我々人間がするべきことではない。神のようにふるまってはならない。

 

・敵を愛しなさい。自分を迫害する者の為に祈りなさい。

→敵は、愛をもってすれば、もはや敵ではない。

 

・自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたにどんな報いがあるだろうか?徴税人でも同じことをしている。

 

・施しをする時は、右の手のすることを左の手に知られてはならない。

→施しをするにも、施しを受ける側の尊厳もある。自分の為にする施しは見透かされる。

 

・自分の命の事で、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか?

 

・何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。

 

・あなたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

→私たちは、何の考慮もなしに、あいつは大したことない、バカだ、と決めつける。ただし、それは正に自分に返ってくる。

 

・偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。

→自分が気づかないでもっている偏見、思想、本能について認知する事から全ては始まる。

 

・狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は狭く、その道も広々として、そこから入るものも多い。

→面倒な事こそ、あなたがすべきことなのだ。

 

・医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪びとを招くためである。

 

・群衆が飼い主のいない羊のように弱り果て、打ちひしがれているのを見て、深く憐れまれた。

そこで、弟子たちに、「収穫は多いが、働き手が少ない。収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」

 

・体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。

 

・私が来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。私は敵対させるために来たのだ。人を父に、娘を母に、嫁を姑に。こうして、自分の家族の者が敵となる。

→家族、世間が一般的に持っているバイアス、資本主義から逃れ、本当に大切な物の為に生きる。その為に、私たちは戦わなければならない。

 

・自分の命を得ようとするものは、それを失い、私の為に命を失うものは、かえってそれを得るのである。

→生きるというより、生かされる生き方を選ぼう。

 

・疲れたもの、重荷を負うものはだれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。

 

・わたしは柔和で謙遜な者だから、私のくびきを負い、私に学びなさい。そうすれば、あなた方は安らぎを得られる。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからである。

→ここにイエスキリストの優しい設計が詰まっている

 

・人が犯す罪や冒涜は、どんなものでも赦されるが、”霊”に対する冒涜は赦されない。

→霊=神

 

・あなたは、自分の言葉によって義とされ、また、自分の言葉によって罪あるものとされる。

 

・よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。

→人は、数字やしるしなど、分かりやすいもの、目に見えるもので理解しようとするが、それは本当に愚かな事である。目に見えないものを信じること、これこそ、人間の本分である。

 

・なぜあなたの弟子たちは、昔の人の言い伝えを破るのですか?

→なぜ、あなたたちも自分の言い伝えの為に、神のおきてを破っているのか?自分たちの言い伝えの為に、神の言葉を無にしている。

(マタイ15章)

 

・口から入るものは人を汚さず、口から出るものが人を汚すのである。口から出てくるものは、心から出てくるので、これこそ人を汚す。

 

・弟子たちを呼び寄せて言われた「群衆がかわいそうだ。もう3日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れ切ってしまうかもしれない」

 

→男のみで4千人。女子供を合わせると1万人ほどいたのかもしれないが、臆せず、食べ物を分けた。

 

(マタイ16章)

・私についてきたいと思うものは、自分を捨て、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。

自分の命を救いたいと思うものは、それを失うが、わたしのために命を失うものは、それを得る。

 

 

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